武家屋敷は、1618年に築城が始まった島原城と同時期に、徒士(かち)((鉄砲歩兵))の居住地として整備された。
一軒一軒の屋敷には境界の塀がなく、隣家の奥までまる見えで鉄砲の筒の中を覗いたようだというので、鉄砲町と呼ばれていた。
当初、石垣は無かったが1775年に石垣と垣根が築かれた。
なんといっても特徴的なのは中央を流れる水路。この水は北に2キロにある“水の権現 熊野神社”から引いた人口の水路。
1792年に発生した日本最大の火山災害「島原大変」の際に、一部の町並みに被害が生じたものの、その後に大きな火災や戦災に遭っていないため、今でも江戸時代の町並みがそのまま残っている。